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プレゼンの度胸をどうやって身につけたか

※こちらは2015年6月11日にATARAサイトにてCEOブログに掲載された記事を一部改訂したものです。

2015年に、今でいうところのワーケーションを実施すべく、アメリカ西海岸に1ヶ月ほど滞在しました。1977年から1983年ごろまで住んでいた場所です。当然、住んでいたころのことをいろいろ思い出す旅でもあったのですが、この記事はそのときに思い出したことを書いたものです。

アメリカに初めて渡ったのは1977年。総合商社で鉄鋼貿易に従事していた父の転勤で、家族全員でオレゴン州ポートランド市の近郊のビーバートンという町(ナイキの本社があるところです)に移ってきたときのことです。

当時、小学3年生。それまでは大阪で暮らしていました。両親はいずれ海外転勤もあると思ったのでしょうか。当時としては珍しく英語を習ってましたが、所詮「ハロー」とか「ハウ・アー・ユー」などが少し言える程度。右も左もわからぬまま、アメリカの片田舎の小学校に放り込まれたわけです。結果6年間ほどそこで暮らし、現地校に通いました。

小学生の時分はある程度適応力は備わっているのか、言葉なんかわからないのに、すぐに環境には適応し、楽しい小学生生活を送ることになりました。そんな中で、今でも強烈な思い出になっている3つの出来事をシェアしたいと思います。

プレゼン訓練は小学生から始まっていた?

おそらくどこのアメリカの学校にいっても、微妙な差はあれど、どこにいっても”Show & Tell”というものがあると思います。Show & Tellというのは「自分にとって大切なものや好きなことなど、自分について語る場」とでも言いましょうか。毎週、生徒の誰かがアサインされ、その週、クラスは「その生徒の週」になります。例えば黒板の両端のスペースに、自分について説明したポスターや写真を飾ります。そして金曜日の決められた時間枠で、クラスのみんなに対して自分についてのプレゼンをするのです。

そのころから若干照れ屋さんだったけど、まだ小さかったし、おもしろいと思えたんですかね。あと、やはりその週の主役になるというのは気分がいいものです。周りも盛り上げてくれます。

で、プレゼンで何を話すかというと、たわいもないことで、「ジャパンっていうのは地図で言うとここで、この中のヒロシマってところで生まれて。家族構成は〜で、野球が大好きで、趣味はキーホルダー集め(実際に見せる)」みたいな感じです。でも、しっかり小一時間とって、Q&Aがあったりして、ちゃんと質問もされます。なのでしっかり答えます。それはれっきとしたプレゼンの場なのです。実際とても上手な子が多かったです。

あのころから人前でプレゼンする訓練は始まっていたんだな、と。成長してから、ああいった場が小3であったことに驚いたものです。

模擬大統領選でディベート

小学6年のときでしたか、1980年の大統領選がありました。ちょうど民主党のカーターに対し、共和党のレーガンと無所属のアンダーソンが挑むという形になっていました。そこでクラスのプロジェクトとして、模擬的に大統領選をやりましょうということになりました。

それぞれが自分の考えを元に、民主党、共和党、無所属のどれかに所属します。ここでもちゃんと選択させていたんだと思います。で、それぞれで政策の議論をして、代表者を立ててディベートするわけです。政策があーだ、こーだとか、テレビを見ながら。これも当時は言われるままにやってましたが、あとで考えるとすごいことさせていたなと思います。

面白かったですよ。そのころレーガンがすでに優勢だったので、勝ち組に乗ろうとするものもいれば、完全に少数派のアンダーソンを推す子が必ずいるとか。

それぞれの想いをちゃんと持って、スタンスを取り、しかるべき主張をすることを学んだ気がします。

キャリアも!

小学4年くらいに戻ります。少し英語も話せるようになったころ、将来何になりたいかという話になりました。僕はよくある「消防士になりたい!」か「それ以外はよくわからない」という感じでした。僕が仲良くしていた3人の友達は違いました。

一人目の女の子は、即答で「エンジニアになりたい」と言ってました。その頃の僕は(エンジニアって何!?)という感じでしたが、その子がとてもかっこよく見えました。

二人目の男の子は、おもむろに僕にカタログを見せました(学校で!)。「長距離トラックのカタログ。かっこいいでしょ。このモデルがいいと思ってるんだ!」と。当時、長距離トラックの運転手と、ペットの猿との友情と旅を描いたテレビドラマが流行していたので、人気の職業だったのかもしれません。ただ、これもあとで「あのカタログ、どうやって手に入れたんだろう」とか「小学生にしてはえらくマニアックな」と思いました。

そして三人目の男の子は、どのクラスにも必ず一人、二人はいる「僕は米国大統領になる」という子です。その子がすごいなと思ったのは、言ってるだけじゃなくて、ちゃんと計算をしているということ。大学はハーバードかスタンフォード、そうなると高校、中学の成績はこうで、生徒会長なんて当たり前で、あとボランティア活動とかボーイスカウトとかもやって〜」とか言うわけですよ。ぶっとびますよね。本当にはなっていないけど、でもそこに向かうべくきちんと考えて邁進する。

日本で首相になりたいって言う子って少ないんじゃないかと思います。ちゃんと夢がある職業なんでしょうね。全米50州津々浦々でこういう子がいるわけですから、そりゃあ国民に厳選された米国大統領もできるわけだなと思いました。

もちろん全員がきちんとキャリアを構想できていたり、ちゃんとそれに就けているかというとそうではありません。でも、小さいころからの職業意識というかキャリア意識は高い気がします。

こんな経験を6年間したわけです。幸いにもプレゼンの度胸だけはついたように思います。そもそもの性格もあるんでしょうが、あの友人たちの意識があったのでしょうか、自分も職人になりたいという意識が強くなったように思います。

それぞれの国のやり方があると思いますが、Show & Tellなどは取り組みとしてはいいと思うんですよね。口頭での言語・コミュニケーション開発だけでなく、相互理解・尊重を促進するように思います。

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