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東京電力の検針員さんに思うこと

※こちらの記事は2010年08月27日にATARAサイトにてCEOブログに掲載されたものの改訂版になります。

暑い夏になると思い出す。

東京電力の検針員さんが以前は月1回、家を回っていたのを覚えているだろうか。ピンクのユニフォームを着た、どちらかというと女性の方が多い。

東京電力には一時期約5,000人の検針員の方がいたと言われている。検針員の数だけではないが、東京電力は実は世界1、2を争う電力会社である。一人一人が担当地区を持ち、毎月電力メータの利用量を検針に行くのだ。過去は手書きで記録していたのだが、1990年代からはITが導入され始めた。検針情報を記録するための携帯コンピュータであるハンディターミナル、その場で検針票を印刷し、各住宅に置いていくための携帯プリンター、バックエンドのシステムで構成されている。

私の父が経営していたベンチャー企業が、米国の製品を担いで東京電力に世界最大規模の検針システムを導入したのは1990年半ば。当時私も手伝うことになり、勤めていた電話会社を退職し、父の会社に加わり日々格闘していた。ベンチャーブームの前で起業環境は最悪。その製品は世界ではシェアトップだが、日本においては名前も知られていない米国の片田舎の会社の商品を売るのは、想像以上にキツかった。日本はそうそうたる電子機器メーカーが参入していたので、価格的にも政治的にも大変だった。米国製品の日本へのローカライズも苦労した。開発は一筋縄にはいかなかった。お客様も要望も高かった。結果的に独自の携帯型プリンターを開発し、水に濡れてもにじまない特殊加工紙は協力してくれた用紙メーカーが特許を取得するほど先進的なものになった。

私の役割は米国の会社に対する営業、貿易がメインだった。1年の1/3は米国の会社に交渉にし行ったり、米国の導入サイトを日本のお客様に視察していただくことをやっていた。全米50州あるうちの36州を回った。恐らく米国人が平均的に訪問する数を大きく上回っていると思う。蛇足だが、死ぬまでに50州は制覇しようと密かに企んでいる。正直、下手なツアコンよりも一人で企画、通訳、案内など何でもこなせる。日本人向けのツアーなんておもしろいかもしれない。

若さで凌いだが、それでも激務の中で身体も壊した。何度か倒れたり、円形脱毛症で髪の毛がほぼ全部抜けたり。本当に色々なことが起きた。でも売った。規模が規模だけにすごい金額だったし、金額以上に世界一のシステムを手がけることに誇りが持てた。それまで数年間の苦労は吹っ飛んだ。そして、日本の電力、ガス、水道などの公益企業のIT化を推進するきっかけになったと言っても言い過ぎではないと思う。

あれから20年以上経った。何度かシステムのアップグレードを経て、今はスマートメーターがほぼ全世帯に設置され、遠隔でも検針ができる自動検針環境になった。私の父は東京電力への導入後、亡くなってしまい、その会社も人手に渡ってしまった。私も別の会社に再就職し、今は全く関係のない仕事をしている。何年か前まで、まだピンクのユニフォームの検針員さんをよく見かけていた頃、必ず目が行くのは手元のハンディターミナルと腰に付けている携帯型プリンター。以前父が手がけたシステムが使われていることに誇りを感じると同時に、あの時の凄まじい経験が今自分を形成しているのだと再確認し、当時に比べれば今なんてお遊びのようなもんだ、がんばろう、とまたやる気になるのだ。

東京電力の検針員の皆さん、スマートメーターを設置できない特殊地域では少数ですがまだいらっしゃると思います。日々暑いですが、お身体に気をつけてがんばってください。ずっと応援し続けます。


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